「俺たち2」管理人による遠距離通勤マガジン

当ページ(ベイタウン・俺たちのホームページ・パート2)の管理人のつぶやく独り言。「しばざ記」です。「しば雑記」とも言います。お問い合わせ、ご意見はメールでお願い致します。  
しばざ記 Vol.8 (2001/06/05〜2001/06/14)
海浜幕張の公園の花時計 / ばかでかいエギゾースト・ノイズをなんとかしてほしい / 滝口順平 / FM放送考  / おおばこ / 武蔵野線は楽しいそ / チャコちゃん / ドラマの背景を考える /
 * このページを更新しました。(2001/06/18) 
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2001/06/05
海浜(幕張)公園の花時計
「巨大花時計はメンテナンスが大変そうだ」 ★★

いったいあの花時計はどのくらいの大きさだろう。直径6、7メートルくらいはありそうだ。ひょっとして10メーターあるかもしれない。長い針(針なんてもんじゃない。鉄骨だ。)は近くで見ていると動いているのが解る。当たり前だ。先端部分では1分間で数十センチ移動するわけだし。お、こういう時に小学校で習った「直径×3,14=円周」という計算式が役に立つ。すると、先端部分の移動する距離は、それを60で割ると1分間のそれが求められるってえわけか。

今ちょうど季節の境目なのか、花時計と言ってもすっかり花が落ちてしまっている。次は夏の草花を植えるのだろう。それにしても広大な面積なので、一口に植え替えと言っても大変な作業に違いない。しかもかなりの急傾斜だ。それになんと言っても恐ろしく速い長い針が追い掛けてくる。逆に長い針をやり過ごし、植え込み作業が針を追い掛ける格好でも1時間後には長い針が無情にもやってくる。短い針も馬鹿に出来ない。うっかりすると長針と短針に挟まれてしまう。植え込み作業はまさに時間との闘いと言っても過言ではない。タイム・イズ・マネーをこれほどまでに如実に体現した職業は他に類をみない。これで、秒針があれば更にスリルがあるだろう。

ふと違う疑問が出てきた。腕時計や壁掛け時計などは時間が狂ったりした場合、リューズや背面のツマミを回すことによってアジャストする。花時計の場合はどうなのだろう。どうも背面や側面にそれらしい物は見つけられない。もし仮にそのようなツマミがあったとしても手動でくるくる回すのか。そうだとしたら、凄い重労働ではないか。まさか。いや、電動であっと言う間に出来てしまうのか。それとも、鉄骨製の針を直接「えいやっ」、とばかりに押したり引っ張ったりするのだろうか。だとしたら、かなり屈強の男たちが花時計のメンテナンスに必要になってくる。いずれにしろ、花時計にまつわる疑問は今日も晴れることなく私は遠目にそれを眺めながら会社に向かうのだ。
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2001/06/10
ばかでかいエギゾースト・ノイズをなんとかしてほしい ★★

いわゆる自動車の排気音をエギゾースト・ノイズという。エンジンは燃料を爆発させて、そのエネルギーを推進力としている。その爆発した時の音が連続してエギゾースト・ノイズになるのだ。そのままでは異常に大きな音なので、マフラーといういわば消音器がついているのだが、それを敢えて外している車がある。当然ながら馬鹿みたいにでかい音だ。あるいは、スポーツタイプのマフラーを付ける奴もいる。これもうるさい。ただ、車検に対応しているものもあるので、一概にそれは駄目というわけにはいかない。

かつてトラックなどが「ターボなんとか」というメッシュの金具を排気管に突っ込んで物凄い音を出して走るのが流行っていた。ヒュワワーンという耳をつんざくような強烈な音だ。メーカーは「パワーが出る」、「省エネになる」という歌い文句で売りまくっていた。だが、専門家に言わせると排気抵抗が増すばかりで全く良い効果は無いということだ。最近、取り締まりがきつくなったのか、この手の改造車は少なくなった。しかし、バタバタバタというもっとドスのきいた凄い音を出すトラックと遭遇する。どういう仕組みであんなでかい音を出すのか解らない。おそらくマフラーの消音器を改造しているのか、あるいは取払ってしまっているのか、まあそんなところだろう。しかし、いずれにしてもいい迷惑だ。あの音、1km先からでも聞こえる。あんなトラックが通る路線の住民はいい迷惑だ。

しかし、あんなでかい音を出しながら走る車を警察はどうして検挙しないのだろうか。特に長距離を走るトラックなどいくつも交番の前を通るだろうし、警察署の前を通る筈だ。現行法では検挙できないのだろうか。とにかくうるさい。一度、旅行の帰りで渋滞にはまった。前のダンプカーがこの手の爆音を出していた。少し動く度にアクセルを余計に空ぶかしするのだが、密閉した私の車の中でさえうるさくてたまらない。おそらく周辺の住民や、たまたま通りかかった歩行者には鼓膜が破れるくらいの音量だったに違いない。いい加減にしろと叫びたいのと同時に、こういうのを取り締まらなくてどうするんだ日本の警察!と言いたかった。

追伸。何もトラックだけに限らない。もともとでかい音を出すスポーツタイプの輸入車は良いとしても、空ぶかしして威嚇したり、夜中に住宅地を走りまわる暴走族ご一行様。ちょっとは静かにしてくれんかね。
 
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2001/06/12
滝口順平 ★★★★★
私の好きな声優さん

「ぶらり途中下車」という番組が静かなブーム。というか、この番組のナレーターを勤める滝口順平が人気の的になっている。「おやおや、松方さん、今度は饅頭屋さんを見つけちゃいました。とーっても美味しそうですねえ。」という独特の語り口調。お笑い芸人のみならず、普通のタレントさんを始め、アマチュアも滝口順平の口真似をする。この番組、すでに10年間も放送している。(滝口順平・・・スペル合ってますか?)

滝口順平は声優さんとして50年の歴史を誇る。二十歳の時からこの業界に入ったというから現在七十歳ということになる。それにしては、声質が全く変化していない。今日(2001年06月11日)、ラジオに生出演していた。インタビュアの吉田照美も「俺のこどもの頃と同じ声」と驚いていた。

滝口順平は私の好きな声優の最高ランクに位置する。映画の吹き替えに欠かせない。西部劇に登場する少しマヌケなガンマンとか、田舎風のオヤジさんなんて役どころにぴったり。いや、この声を聞かないと映画じゃないような気さえする。

「ゲゲゲの鬼太郎」というアニメのテーマ曲も滝口順平が歌っている。私の記憶では熊倉一雄だった。熊倉はネズミ男だったっけ。その辺り記憶が疎い。もし、そうだとすれば、今では大御所である二人の声優さんの夢の共演だったわけだ。滝口は「熊倉さんによく間違えられるんですが、あの方は声が鼻にかかるんです。」と言う。因みに滝口の出身地は船橋市。現在の湊町というからベイタウンから遠くないぞ。

先ほど、私の好きな声優と書いた。実はよく真似をしていた。頭の中ではきちんと特徴を捉えているのだが、実際には似ていない。どちらかと言えばマグマ大使の宿敵「ゴアさま」(知らないだろな)や「ハクション大魔王」の大平透の真似のほうが得意だった。大平は近年では「笑うセールスマン」のほうが有名か。

いずれにしても多くの人が真似をするくらい滝口順平は人気があるし、誰でもが必ずや耳にした声であるに違いない。アメリカの田舎町の農夫がみんな彼みたいな喋り方をしていると思っている人も多いのではないか。
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2001/06/13
FM放送の考察(昔のFM放送は良かった・・・) ★★

ウィークデイの深夜。コーヒーを飲みながら聴いていた「ジェットストリーム」。殆ど聞き流しという感じだったが、イントロ部のミスター・ロンリーが流れるといよいよ夜を感じた。城達也の名ナレーションがいい。往年のファンも多いはずだ。

「遠い地平線が深々とした闇の中に消え・・・・夜空の星のなんと饒舌なことでしょう。」という詩。これにミスター・ロンリーの切ないメロディ。ああ、とても良い番組だった。日本航空のイメージにもぴったりだ。あの番組を聴いて、心は海外旅行の気分だった。

この番組は深夜零時から1時間の放送。なにしろ長寿番組だったので、1時からの放送はそれぞれの時代でいろいろなバリエーションがあった。「ヤングシグナル80」という番組。田中正美が出演していた。「きまぐれ飛行船」だったかな、片岡義男と安田南がDJを勤めていた。この二人、ほとんどボソっボソっと語り合うというスタイルが好きだった。安田はJAZZボーカル。低い声質と深夜という二つの条件がマッチしていた。

毎週火曜の深夜だったか、「アスペクト・イン・ジャズ」という番組があった。「お相手は由井正一でございます。」という馬鹿丁寧だが、雰囲気のある渋い声が静かに聞こえてくる。絶対に現在は考えられないジャズの番組だった。良い意味ですごく偏っていた。ポール・チェンバース特集とか、チャールズ・ミンガス特集のように、一人のジャズマンをたっぷり2時間もやってくれた。ナレーションも極力控えめだった。お陰で好きなミュージシャンの特集の時は寝不足になる。当時二十歳そこそこの私にとって大人の雰囲気を先取り出来る番組だった。

ポップス系で好きだったのがNHKの夕方に放送していた「軽音楽をあなたに」だった。テーマ曲がSTAFFの「AS」だったと思う。軽音楽と言ってもエアロスミスやイーグルスなどもかかっていた。こちらもナレーションは控えめ。BGMとしては最高だ。この番組を通じて数々の曲を覚えることが出来た。NHKといえば渋谷陽一の番組があった。ここではツェッペリンやジェフベック、ピンクフロイド、ムーディーブルース、イエスなどの前衛的なロックを楽しめた。

今、こういった「音楽を聴かせる番組」が少なくなったと思うのは私だけだろうか。いつのまにか、FMがAM化しているような気がする。ややお笑い色の強いDJを起用し、リスナーを常に笑わせようとしている。あるいはアイドル系のDJで聴取率を上げる?いや、それも悪くはない。カッコよいジングルに続いて英語混じりでまくしたてるDJはそれで良い。だが、大人の番組をもう少し増やしてほしいと思う。渡辺貞男の「マイディア・ライフ」、あんな番組はもう出来ないものだろうか。「お贈りした音楽が貴方の夢に溶け込んでゆきますように・・・」と城達也が結んだ。城達也も由井正一も他界してしまった。
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2001/06/13
おおばこ(未舗装の道端でよく見かける雑草) 

おおばこ、という植物を聞いたことがあるだろうか。一度くらいはあると思う。かつては道端でよく見掛けた。今は日本の道路の舗装率が百パーセント近いので都心、都心近郊では見られなくなった。たまに郊外の舗装されていない道路を見つけたら、おおばこに出会えるので注意してみよう。道路の中央、車のわだちでそこだけ高くなっている部分におおばこが生えているのだ。

何故おおばこの話題かというと、先日息子が幼稚園から借りてきた絵本が「おおばこ」というタイトルで、中身もおおばこについて詳しく書いてあった。まるで小学校の理科の教材みたいな本だが、息子は興味深く読み耽っていた。この本は「おおばこは何故踏まれても大丈夫なのか」という問い掛けからはじまり、結論として「おおばこは生き残る為に人に踏まれるような場所に生えている」と書いてあった。素晴らしい。こどもの読む絵本とは思えない。まるで人生の解説書みたいな奥深いものを感じるではないか。

おおばこの葉には丈夫な葉脈(隅山さん、それでいいんですかね?)、つまり筋がある。多少乱暴に踏み付けられようが頑丈なのだ。更に茎の部分は短く、半分は地面の中に入っている。そして、硬い砂利混じりの地面に深く根を降ろし、仮に引っこ抜かれても茎と根が生きているという凄い生命力なのだ。踏まれても、踏まれても力強く雑草のように生きよう、というのは実はおおばこのことを指しているのかもしれない。おおばこは雑草の中の雑草なのだ。

ところが、おおばこにも弱点がある。それほど背が高くならないので、周囲の草花がどんどん伸びてくると、日照不足で枯れてしまう。だから、敢えて人や動物、時には車が頻繁に踏み付ける悪条件の中で生きるような仕組みに体を進化させたのだ。なんか凄いことだと思う。こういう人生を送っている者もいるだろう。進んで悪条件の仕事につき、結果的にそれが自分にとって良い方向であれば何の問題もない。しかし、ずっと踏まれ放しで一度も日の目を見たことがないという人生は悲しい。おおばこのようにそこで逞しく生きて欲しいもんだ。
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2001/06/14
武蔵野線は楽しいぞ 

今年から海浜幕張まで武蔵野線が乗り入れるようになった。しかし、ベイタウンに住んでいる方で武蔵野線の乗ったことのない方は多い。縁がありそうで無いのが実情。電車といえばまず東京駅に向かう京葉線を思い浮かべるはずだ。調べていないのでいい加減な数字だが、通勤で東京方面に向かう人間は80パーセントを超えるのではないだろうか。10パーセントは幕張新都心へ、10パーセントは下り方面(千葉方面)へという感じだと思う。

私は今年から武蔵野線を使って通勤している。海浜幕張から直通の時もあるし、南船橋から乗る時もある。いずれも始発なので1車両に10人も乗客がいれば良いほうだ。つまりがらがら。西船橋を過ぎると椅子が殆ど埋まってくる。だが、まだ座れる。その先、新松戸辺りでやっと立つ人が出てくる。三郷、新三郷、吉川で一気に乗客数は増える。しかし、まだまだ余裕だ。JRの京浜東北線と交差する南浦和、埼京線と交差する武蔵浦和が近づくと、京葉線の9時半頃海浜幕張を出る快速の車内くらいにはなる。でもそれは1〜3駅間くらいのことで、そこから先はまた空いてくる。

武蔵野線を西船橋から府中本町にかけて走ると、いかに武蔵野の台地を電車が横切ってゆくのかを実感できる。海沿いをずっと走る京葉線とは好対照の景色なので、たまに乗る人は新鮮かもしれない。都心からそう遠くも無いのに田園風景が広がり、所沢あたりではトトロの住んでいそうな森も見える。そして前述したとおり空いていることが多いのでたっぷり眠れる。私の場合、海浜幕張から南浦和の約1時間フルで眠れるのだ。これは凄いことだ。朝起きて顔を洗い朝食を済まし、海浜公園を横切り駅へ。電車に乗れば二度寝が出来る。即ち、「ああああ今朝は眠いなあ。ふあああ。」と思った日には電車の中で睡眠をとることによって、爽やかに出勤出来るわけだ。

但し、こういう例は海浜幕張から新松戸、南浦和方面へ行く場合に限られる。通勤アワーに西船橋から東京方面へ行く方は1本あたりの客車が少ない分、通常の京葉線より混むので注意が必要だ。三郷から都心に勤める友人に聞くと、新松戸から常磐線、西船橋から総武線、あるいは東西線に乗るよりはずっと良い、と言う。まあ、同じ都心でもどこにアクセスするかによって、それぞれ路線を選択しているのが一般的だ。私はむしろ東京駅の乗り換えが嫌いなのでそれを極力避けたい。

朝、反対ホームがごったがえしている西船橋を寝ながら通り過ぎるのも慣れてきた。東京や幕張周辺じゃない他県に出社するのも違和感が無くなってきている。どうだろう。皆さんも辞令が出て転勤を余儀なくされそうな時、「私は埼玉に転勤したい!」と一言上司に言えば、必ずや喜んでくれるはずだ。間違っても横浜支店に行きたいと言わないほうが良い。通勤時間に加えて満員電車のストレスが増すばかりだ。注意したいのが埼玉と言っても、支店が熊谷とか深谷などにあると、プラス1時間半を要する。せめて大宮くらいが幕張からの勤務地限界点だろう。
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2001/06/14
チャコちゃん(かつてのスーパー子役) 

チャコちゃんシリーズをご存知の方は、三十代後半から四十代以上だと思う。その一番最初の「チャコちゃん、はーい!」という番組をリアルタイムで観ていた方は完全に四十代だろう。

主人公のチャコこと四方晴美は、男の子勝りの元気な女の子。チャコと周囲のこどもたち、それに翻弄される大人たちを描くホームドラマ。当時は凄い人気だった。チャコちゃんを知らない人はいないくらいだった。実は四方晴美と私は同い年だ。

チャコちゃんのシリーズの中には四方晴美の実の父母も登場した。父親は安井昌二。今でも舞台に活躍している。母親も女優。まさに恵まれた環境に育った。その後、チャコには弟が出来た。もちろんドラマの中の設定。ご存知、宮脇康之クンだ。

シリーズは「チャコちゃんケンちゃん」に変わった。その頃、だんだんふてぶてしくなってくるチャコちゃんより、視聴者はケンちゃんの甘えたような可愛いらしさを好むようになる。いつの間にかチャコちゃんはブラウン管から消え、「ケーキ屋ケンちゃん」というようなお店屋さんが舞台になる。さらに「ケンちゃんトコちゃん」というバージョンもあったが私は詳しくない。

それから、だいぶ経ったある日、週刊誌だか何かが「あのチャコちゃんが脱ぐ」という衝撃的な記事を伝えていた。少なくとも十年はテレビで観ることも噂を聞くこともなかった彼女がいきなりヌードを披露するなんて驚きだった。おそらく私と同じ世代の人間もショックだったと思う。それよりも、髪の毛を短くし、雰囲気もボーイッシュな彼女のヌードというのは想像出来なかった。

彼女が芸能界にカムバックする為に大勝負したのかどうかは分からないが、捨て身のヌードも一瞬のうちに話題から遠ざかっていった。私が22歳の頃、バイト先の先輩が渋谷の円山町の一角にある雰囲気のある割烹に連れていってくれた。土間には猫が何匹かいた。そのうちの1匹を若い女性が抱きかかえながら、いらっしゃいませと言った。すぐに奥から和服のおかみが現れた。やや色ぐろでショートカット。このおかみこそ、四方晴美の母親だった。

私とバイト先の先輩は並んでカウンタの席に腰掛けた。先輩はおかみと仲が良いらいしく、世間話に花を咲かせていた。先ほどの若い女性は当時流行の髪の毛をソバージュにしていた。カウンタの中に入ると、私にお酌してくれた。もしや・・・。

「そうだよ。チャコちゃんだよ。」先輩が笑いながら言った。
「えーっ!ほんとですか!」私は大声で叫んでいた。
少し面影が残っているかもしれないが、見事な変貌ぶりだった。すっかり女っぽくなり、一時太ったと報じられていたものの、全然気にならなかった。

「チャコちゃん、俺、ファンだったんです。いやあ、会えて嬉しいなあ。」私はこれだけ言うのが精一杯だった。
「あら嬉しい。」目の前のチャコちゃんは屈託の無い笑顔で笑った。
あとから聞いた話だと、時々母親の店を手伝っているのだそうだ。

それから更に数年経った。テレビの「あの人は今」というようなテレビから消えたタレントを捜し出す番組が流行っていた。そこになんとチャコちゃんが出ていた。チャコちゃんは結婚して、千葉で夫とペンションを経営していた。大東岬の辺りだったと思う。幸せそうだった。私がチャコちゃんをテレビで観たのはそれが最後だった。

ところで、こういうコラムを書く以上、ドラマの内容についても語らなくてはならないのだが、実は殆ど覚えていない。いや、断片的にはなんとなくと言ったところか。チャコが母親から怒られてぶすっとした表情や、男の子を「えいや!」と投げ飛ばすシーンとかは今でも脳裏に焼き付いている。それよりも印象的だったのは、背景だ。

雰囲気的には東急線沿線といった閑静な住宅地が舞台だった。今なら1億円はしそうな家(土地代含む)がチャコの家だ。おそらく中流サラリーマン家庭を描いたつもりなのだろうが、昭和40年頃の高度経済成長時代とはいえ、門構えがあって、きちんと舗装され、並木があるような住宅地は高級だったに違いない。田舎者の私は自分の家の環境と対比しては憧れた。テーブルに椅子というスタイルの食事シーンも、当時大部分が畳の上のちゃぶ台に一家揃ってというスタイルだった視聴者に大きな影響を与えたかもしれない。


ここでドラマの背景について語りたい

ドラマの背景というのは重要だ。物語以上に記憶に残る。「太陽に吠えろ」の高層ビルが林立した新宿界隈は誰の記憶にも鮮やかではなかろうか。当時新宿が高度成長のシンボルだった。対比して、前近代的な盛り場のシーンは印象的。松田優作と中村雅俊の「俺達の勲章」は横浜が舞台。やたらに出てくるレンガ造りの倉庫や、港が物語り以上に焼きついている。漫画のサザエさんは、今でも放送しているから果たして昔の記憶とごっちゃになっているが、板塀が主流だった昭和3〜40年代の風景だ。似たようなところで、「おそ松くん」や、「モーレツア太郎」、「天才バカボン」の背景もまた都心近郊の住宅地が舞台。そこらじゅうに空き地が残る高度成長期の郊外という感じが出ていた。あれは西武池袋線あたりの雰囲気だろうか。「ガキでか」も完全に西武線沿線の住宅地が舞台だった。経済がかなり安定した時期で、その辺りの雰囲気を山上たつひこが忠実に描いていた。

私がドラマの背景で印象的なのは、榊原るみ主演の「気になる嫁さん」。場所は小田急線沿線だった。時折入る電車の音。小田急線のロマンスカーのリンロンと鳴る警笛。そして閑静な住宅街にお屋敷といっても差し支えないような大きな庭の家。都会の人々の暮らしに憧れて観ていた。石立鉄男の「水もれ甲介」のバックも良かった。主人公とその弟が経営する水道工事屋は都電が走るガードの下にあった。そこらじゅうに下町の雰囲気が散りばめられ、そこに人情を絡ませた物語だ。下町といえば寅さんシリーズもそうだ。柴又を何度も訪れた私はどこに何があるのかつぶさに分かって面白かった。渥美清の「泣いてたまるか」もどちらかと言えば下町っぽい雰囲気のところだった。

ドラマに高級感がだんだん要求されてきたのは、私は観ていなかったが「東京ラブストーリー」とか、「金曜日の妻たち」の頃だったのではないか。金妻は、東急多摩プラザが舞台(観ていないので間違っていたら失礼)。場所も場所なら登場する人物も、これまでの人種と明らかに違っていた。またライティングもビジュアルを重視し過ぎて、曇っているのに顔だけテラテラ光っているというのが気持ち悪い。深作欣二監督の「傷だらけの天使」のようにライティング無し、手持ちのカメラワークを多用するほうが好きだ。あの番組、ロケが圧倒的に多く、映画のようで好きだった。

おっと、チャコちゃんの話から発展してしまった。しかし、この辺りの話になると止まらなくなる。酒を飲みながら仲間とわいわいやるのはなんともいえない楽しみのひとつだ。
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