「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。結構、歳いってます。はい。
しばざ記



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「どっちを向いて生きているか」


豊臣秀吉の家臣(五大老)に備前の宇喜多秀家という人物がいた。関が原の合戦では西軍の副大将を務めた。戦に破れて一時薩摩に身を寄せ、しかし、駿河の国に幽閉された後に八丈島に流刑になる。その後一度も本土に戻ることなく83歳で没。流刑になってから約50年後である。

34歳という若さで流刑になった秀家はきっと、本土に残した最愛の妻、豪姫のことやら懐かしい備前の国などを想い、来る日も来る日も波の彼方をずっと眺めていたのだろう。悲劇の人物として、宇喜多秀家の関連の書籍はかなりあるので、参照されたし。

いきなり歴史モノから入ってしまった「しばざ記」だが、実はそんな高尚なテーマではない。「どっちを向いて生きているか」の分かりやすい事例として宇喜多秀家の島流しを挙げてみたのだ。そう、秀家が毎日見ていた本州の方向。それは北の方角である。岡山だったらやや西寄りになる。彼は約50年間、おそらくずっと北の方角を見て暮らしていたのだ。

もっと分かりやすい事例を挙げると、戦国武将は京を目指していた。京に出ることは天下を取るという意味合いであり、間違いなく京都の方向に向いていた。もちろん身体の向きが京都を向いていなくても、気持ちが京都に向いているので、この場合、「京都を目指して生きていた」ということが言える。「どっちを向いて生きているか」はある意味、「憧れの地はどっちの方向」か、ということでもある。「地点」ではなく、「方角」なのだ。自分を基点とした矢印なのだ。

一時的なものもある。「夏が来れば思い出す。遥かな尾瀬・・・♪」という歌。あの歌を歌詞をしっかりと噛み締めて歌えば、実際に尾瀬の方向を意識が、身体が示している。体内の羅針盤がしっかりとその方向を示している。尾瀬に行ったことのない人でも、日本地図が頭の中に入っていれば、それは可能だ。言うまでもなく尾瀬は群馬県と栃木県、福島県の県境周辺の日本を代表する湿原である。具体的な場所の認識が無い人は架空の場所、例えば湯布院などの近くを連想しているかもしれない。

武田鉄矢の場合、九州から吉田拓郎に憧れて東の東京に出てきて、苦労した挙句に大成した。彼は若かりし頃、ずっと東京を見て、東京に向かって生きていたのだろう。彼ばかりじゃない。当時のシンガーソングライターは東京に出て一山当てたいと考えていた。あるいは華やかな芸能界に憧れる、例えば、ちょっとイケメンの田舎の兄ちゃんなんて、山の向こうのそのまた向こうの東京に向かって、いつかこの村さ出るだ、なんて思いながら暮らしているのだろう。更に具体的にジャニーズ事務所がある六本木辺りを向いていたに違いない。

このように、それぞれ人間にはどっちの方向に気持ちが行っているか、というのがある(と思う)。方向性と言うのが単に方角のことではなく「どういう人間性を目指すか」なども含まれているのとは異なり、私の言う「どっちを向いて生きているか」は、単に方角だけのことを言っている。好きな人がいる地を憧れの地としてイコライズする女の子もいるだろうし、ビートルズ発祥の地のリバプールをメッカだと感じている人もいるだろう。何故そんなテーマを持ってきたかと言うと、最近私の目指している方向がかなり分散してきていて、自分なりに整理しようと思ったからだ。

さっきの続き。その田舎の兄ちゃんが東京に出て早2年。どうもなかなか現実は厳しくて、配管工の下働きをして生計を立てるが、そろそろ田舎に戻ろう。そんなことを思い始めると、気持ちは田舎の方を向いている。板橋区の小さなアパートの部屋の西に向いた窓からはどうにかこうにか空が見えて、故郷である少し北の方向を眺めて目を潤ませる。兎追いし彼の川、小鮒釣りしあの川。そんな感じだ。でも一方、アパートの廊下側の更に南東方向にあるジャニーズ事務所にも気持ちが多少なりとも向かっている。苦労しながら、彼はその後約5年は東京暮らしをした。いよいよ芽が出ないと判断した彼はふるさとに帰るのだ。

彼は故郷の新潟(急にそういう設定にした)に戻った。故郷の仲間はみんな彼を暖かく迎えてくれた。いい仕事も見つかった。いつしか見合いをし、そして家庭を持った。順風満帆な生活が続いた。つくづく俺は故郷に帰ってきて良かったと思った。しかし、彼は雪を抱く県境の高い山々の向こう。そのまたずっと向こうの東京に未練があった。汚いアパートの生活、別れた彼女のこと、優しい近所のおばさんのこと、幻に終わった芸能生活のことを、東京の方面、つまり南東の方向に思いを馳せているのだった。

私の事例でいうと、高校生まで木更津で過ごす。その頃は間違いなく東京に(身も心も)向いていた。木更津からだと東京は東京湾の向こう側にある。北西方向だ。海に向かって立てば、天気の良い日は東京タワーが見えて、ますます東京に出たいという気持ちが高鳴っていた。でも、友人には東京なんてまったく意識に無く、木更津の繁華街の方に向かっている奴もいた。あるいは、せいぜい千葉か船橋。そこが北限の奴もいた。それは別に不思議でもなんでもない。釧路の友人は、ずっと札幌に憧れていたというし、佐賀の知人も「将来は博多に出て・・・。」という夢を描いていた。関西地区だったら、大阪、神戸というのがそれに当たるのだろう。

高校を卒業して私は迷わず東京に出た。国立の茨城大学(水戸市)も蹴って(というとかっこいいけど)、都内に住んだのだ。東京に行くと木更津では習得できない文化のようなものを身につけられると思ったからである。そういう意味では私も単なる田舎モノだった。中村雅俊主演のテレビドラマ「俺たちの旅」みたいに、アパートに住んで、仲間がいて、酒があって、という生活をしてみたかったのもあった。で、それはそれで実現できたし、その頃出会った仲間や学んだ社会体験が私の人生の下地になった。大いなるプラスだったと今でも思っている。

都会暮らしは便利だし、楽しい。それなりの収入さえあれば、ずっと都内に暮らしていてもよかった。しかし、いつしかどうも都会よりも田舎に惹かれていった。週末になると実家の木更津を通り越して鴨川辺りの海に出かけたり、あるいは湘南へ繰り出し、また立て続けに北アルプスに登山に行ったりという行動パターンだった。暮らしている場所が都会だからかもしれない。元々田舎モンの血がそうさせていたのかもしれない。その頃の私は「どっちを向いて生きていたか」と言えば、都心を中心としてそれぞれの田舎を向いていたということになる。鴨川、北アルプス、三浦半島、富士・箱根、湘南。おっと、湘南は田舎ではないな。

今現在、幕張ベイタウンに住む私が向いている方角はやや南の方角である。それは私の故郷である木更津もあるのだけれど、その先の房総半島の反対側の鴨川である。鴨川に住んでいても絶対に困らない生活が出来るんであれば、今すぐにでも鴨川に引っ越してしまいたいくらいだ。勝浦だって、御宿だっていい。とにかく太平洋側に住みたいのだ。だから、南南東の青い空を見るたびに、ああ、いつしか、鴨川に行きたいなと思っている。だが、どうもそれは叶わぬ夢になりそうな気もする。なんとなく中途半端な土地が終焉の地になりそうだ。

とりとめの無い話になってしまった。「どっちを向いて生きているか」なんて、普通そんなに意識している人っていないかもしれない。以前書いた「土地に執着する人/しない人」に似ているかもしれない。だから土地に執着しない人って、そんなに方角とかあまり気にしないのかもしれない。ここまで読んで、「なんだこの野郎、ちっとも面白くなかったじゃねえか。ばか。」とお叱りになられる方、まあ、戯言としてさらっと流してくださいな。たのんます。



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2008/9/6
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