「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。結構、歳いってます。はい。
しばざ記


太田山公園からの木更津の街 2007/11/7
祇園駅の親子
どうしてそこにいて、そして、どこへ行ったのか・・・


予めお断りしておくけれど、読んだ後で、「け!つまらん!」って言わないように。
でも、実際、途中で何書いているのか分からなくなった。

千葉県木更津市、久留里線の祇園駅は始発の木更津を出て次の駅である。単線でホームがひとつしかなく、朝晩の通勤時を除けばひっそりした小さな無人駅だ。1両ないし2両のディーゼル車が一時間に2本、上下1本ずつしか停車しない。駅前はロータリーもなく、広場もまったくない。しかし、比較的交通量の多い県道に接している。

11月29日の夜、午後8時少し回った頃、この駅に立ち寄った。実家の木更津への所用のついで。幕張に戻るときに、その祇園駅に停車する久留里線の写真を撮ろうと思いついたのだ。ルートをやや外れてはいるが、その前に来たときには小湊鉄道に寄っているから、それに比べたら、ロスタイムは少ない。最近こうしたローカル線の小さな駅の写真を撮るのがマイブームになっている。祇園駅は、私にとっては身近な駅。それなのに、きちんと写真を撮った記憶は無い。

しかし、三脚を持っていなかったので、まともには撮影できないことを来てから気づいた。撮影できないなら、せめて、愛らしいディーゼルの列車だけでも見てゆきたい。見るだけでも来た甲斐はある。小さな待合室の中に掲げてある時刻表を眺めたら、次の列車が来るまで20分以上もある。おまけに、まだ11月なのに、真冬並みの気温だ。10度を下回っている。今回は諦めたほうがよさそうだ。祇園駅は、また木更津に来たときにいつでも寄れる。

やや後ろ髪を引かれながら、クルマに戻る為に、ホームから道に出たところで、女性の甲高い怒ったような声が聞こえた。ヒステリックな金きり声だった。駅に隣接したシャッターの閉まった店先の暗がりに、若く、一目で外国人(おそらくフィリピン人だろう)と分かる女性と、彼女の子どもであろう3歳くらいの男の子がいた。彼女がしきりにその男の子を叱っているのだ。何に対して怒っているのか分からなかった。相当なフィリピン系の訛りがあって、しかも、早口だけど、一応、日本語だった。

私は道路を渡る為に横断歩道に立って少し様子を見ていた。私とその親子の距離は5mくらい。つまり、すぐ傍にいた。男の子は、大人の膝の丈くらいの低いブロック塀の上を行ったり来たりしている。とても困ったような顔をしている。暖かそうなダウンのジャケットを着ているものの、この暗がりで、この寒空に、その小さな体がとても頼りなく見えた。なぜその母子がそこにいるのか、なぜその母親が大声で叱っているのかも謎である。

私は道路を渡った。道路の反対側に立ち、振り返った。母親は、尚も大声で叱っていた。激しく罵っている。私のいる場所でも十分聞こえた。ひっきりなしに通過するクルマの音にも負けない声の大きさだった。空気が澄んでいるから、人気がないその周辺の広範囲に響き渡っていた。彼女は叱るのに専念していて、まったくこちらに気づいていない。一方、男の子は黙っていた。喋れないのではないかとさえ思った。それに叱られているのに、まだブロック塀の上をバランスを取りながら歩いている。

私はそこから約100m離れたところに止めた自分のクルマへ戻った。寒かったのもある。エンジンをかけて、暖気をする。暖気というより、体が冷えたので暖をとるというのが正しい。フロントガラス越しの空はどんよりしていて、雪でも降りそうな感じだった。車内が暖まるまで、先ほどの親子のことを考えていた。10分外にいただけでも冷えてしまう陽気なのに、寒くないのだろうか。不安になってきた。男の子は大丈夫なのだろうか。

もう一度あの場所に行ってみたくなった。エンジンを止め、クルマから降り、再び駅の道路を挟んだ反対側に立ってみた。まだ母親の機関銃のような叱り声は続いているようだ。しかし、あまり大きな声ではない。様子が少し変わってきたようだ。男の子は塀から降りて、母親の傍にいた。少し場所を移動したのか、光線の加減で、母親の赤いショールを羽織った格好とか、顔だちなどが先程よりよく見えた。

眉が濃く、目鼻立ちがはっきりしているフィリピン人独特の情熱的なルックスだった。化粧も濃く、真っ赤な唇をしていた。年齢は二十代後半というところだろう。

私は、日本に住んでいるフィリピン人女性の殆どが水商売という先入観を持っている(申し訳ないけど)。事実、木更津は現役の水商売系(含む風俗系)、または今は日本人と結婚している元水商売のフィリピン女性が多い街である。その女性もどちらかといえば、夜の商売をしている雰囲気が漂っている。母親よりも営業を優先させているような感じだった。日本人と結婚はしたものの、まだ現役で夜の街で働いているのだろう。いや、働かざるを得ない状況なのだと思う。

男の子が泣きだした。わんわん泣いている。ずっと母親に叱られ続けて、ずっと黙っていたから、その反動のような泣き声だった。すると母親は男の子を抱き上げた。そして、ショールで自分の体と男の子の体を包み、ギュッと抱きしめていた。男の子はひっくひっくしながら、しかし、おとなしく抱かれていた。先ほどまでの母親の怒りはすっかり収まったようだった。母親は、男の子を抱いたまま、車道に沿って、ゆっくりと歩き始めた。とぼとぼ歩くという表現がぴったりだった。何か子守唄を歌っているようにも見えた。言いようのない哀愁が漂っていた。

私は親子が去ってからもまだ車道の向かい側の誰もいない駅を眺めていた。どんどん気温が下がっていた。露出している顔や手が冷たい。何故あの親子があの場所にいて、そして、母親は何故怒っていたのか、とうとう何も分からないままこの話は終わる。考えてみれば、そこにぼーっとして立っている私とて、他の人に見られたら不思議なのだ。へたすると不審者に見えるだろう。ただ、通行人がいない。まだ午後8時過ぎだというのに、そこはあまりにも寂しかった。

2007/12/3
しばざ記 356

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