「俺たち2」管理人による遠距離通勤マガジン

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小説(?) 祭りが終わって Vol.1  Vol.2 Vol.3
私は二十代に事情により早くも転職した。
物語は以前の会社の先輩に秋祭りに誘われたことから始まった。



私は四十を過ぎてもロックバンドなどを結成し、少しも上達しないテクニックとは裏腹に恥も外聞もなく割合アクティブにライブなどをやっている。若い頃のようなリズム感も無くなっている。下手の横好きというのはこういうことかもしれない。しかし音楽をやっていることで、やはりご近所の同様な趣味を持った方々との交流が実現した。メンバーは私より若干下の世代が多い。私同様、一番忙しい世代である。バンド活動というと聞こえは良いが、仕事と家庭という二つの狭間の中でもがいていることが多い。

5月12日のベイタウンまつりでは昨年に引き続き、我々のバンドが特設ステージで演奏させてもらった。天候に恵まれたのがなによりだった。また、日頃のストレスも発散できた。多くの人間と交流できた。本当に楽しかった。ステージの興奮をそのまま夜に引き摺って、花火大会の会場でも盛り上がっていた。しかしやはり歳のせいか、帰宅した途端に倒れるように眠ってしまう。前日まで祭りの準備などで寝不足だったせいもある。

翌日、普通に会社に出勤した。何事も無かったように会社のデスクに座り、いつものように仕事をする。にわか練習で出来掛けたベースギターの指のタコがむずむずするくらいで、あの熱狂したライブの余韻は無い。にわかロックンバンドのメンバーだった私は今日から普通の会社員だし、普通の父親で、ちょっとくたびれたオヤジなのだ。別に内緒にしているわけではないが、昨日の祭りのことを積極的に課員に話す気は無い。

帰りの電車の中で、ふとスポーツバッグを持った五十代くらいの男性に目が行った。服装はサラリーマン風だが、バッグのロゴがアディダスだったり、まるめて無造作に持っている雑誌がサッカー関係だったり、なんとなく場違いな感じを受けた。

単なるサッカー事情に明るい人なのか、職場のサッカーチームの監督をやっている人なのか分からない。あるいは五十代ながらも現役のサッカー選手なのかもしれない。しかし、それにしてはどう見てもスポーツをやるようなタイプではない。言い方は失礼だが、疲れ果てたサラリーマンというイメージだ。

私が何故彼に興味をそそられたかと言えば、遠い過去に彼のような人物がいたのを知っていたからだ。それはまだ私が二十代の頃だった。当時、会社の先輩Kは今の私くらいだっただろうか、四十代だったと思う。

2001.5.15 Shibazax

*    *    *


会社でのKはまったく目立たない存在だった。黙々と仕事しているのだが、上司の評価は決して良くはない。四十代なのに未だに平社員ということがそれを証明している。それに社内には友人もいないようだった。昼休みに気の合った者同士が職場近くの定食屋に行ったり、屋上で弁当を食べている時もわざとタイムラグを取り、人より遅くまで事務所に残り、休み時間が終わる頃慌てて屋上に行き、予め用意していた握り飯を食べるのだ。

私は入社した時にKは変人だと聞いていた。確かに人気のない屋上の隅のほうで、黙々と握り飯食べる姿は異様だ。しかも、定時になると消えるように退社する。職場の飲み会も公式行事以外には参加しない。それに、なんとなくスーツもよれよれだし、何が入っているのか分からない大きなバッグをいつも持っていた。人付き合いが苦手なのだろう。

夏のある日、早く帰宅しなくてはならない用事があったので、私は会社を定時に上がった。明るいうちに電車に乗るのは久しぶりなので、見慣れた車窓の景色が輝いて見えた。線路に沿った外堀の水面に、傾いても全く衰えを見せない太陽の光が眩しく反射していた。ふと私の脇を見るとKがいた。吊り革につかまりながら手帳になにか書いていた。私は声を掛けるタイミングを失っていた。気付かれないように少しずつ遠ざかろうかとも思った。

「柴崎君だったっけ?」Kが突然顔を私に向け話しかけてきた。
私は、一瞬へびに睨まれた蛙のように全身が凍ってしまうような感じを覚えた。決してKが怖いわけではない。ただ、隙を突かれたこと、職場で一度も会話したことのない、しかも変人と噂される先輩に、至近距離で話し掛けられたことが、ある意味でショックだった。 もし明日あたり、Kと話しながら一緒に帰宅したなどと同僚に冷やかされるのも嬉しくない。

「確か君は今年の新人だったかな。」呟くようにKが言った。
「いえ、昨年入社ですが、こちらの部署に今年から配属になりました。」
私は緊張しつつ、しかし、破れかぶれの心境で返事をした。
あ、そう、というような声が微かに聞こえたかと思うと、Kは再びメモを取り出した。ぼろぼろの手帳は小さい字でびっしりと埋まっていた。

二人並んで吊り革につかまって会話が途絶えると、息苦しいもので、私は何とかその場を脱出することばかり考えていた。しかし、いくら変人と言われる人でも先輩には違いないのだから、こちらから話し掛けないとまずいと考え直した。初歩的な処世術というやつだ。

「あの、えーと、Kさんのバッグって何が入っているんですか。」
私はとっさに質問してみた。
Kは聞こえないふりをしているのか、本当に聞こえなかったのか、ぴくりとも動かず一生懸命ボールペンを走らせている。私は気まずくなった。なにか悪いことを聞いてしまったのか。

「大変そうですね。なにを書いているのですか。」
再び必死の思いで質問した。
更にまずいと思った。余計なことだ。プライベートじゃないか。なんてまぬけなんだ。私は自分を責めながら、しかしこのピンチを一向に我関せずのKを恨んだ。

「これか。スケジュール兼日記というところだな。一日の予定と実際にあったこと全てメモをしているんだ。年齢とともに忘れっぽくなってねえ。」
Kが少しタイミングを遅らせて口を開いた。
日記か。日記くらいでもったいぶるなよ。私は少し怒りが込み上げてきたが、少し気が楽になったような気がした。

Kは手帳を背広のポケットにねじ込んで、しっかりと私を見据えた。近くで見るとKはやや小振りで痩せていた。歳の割にはふけているし、ワイシャツの衿元が擦り切れそうになっているのが気になる。
「そうだ、君、今から一緒に来ないか。」
Kが似合わない笑顔を作った。
「すみません、ちょっと急いでいるもんで。」
私はぺこりと頭を下げた。
「そうか、残念だなあ。これからサッカーの練習があってね。」
そう言うとKは網棚に乗せたバッグを降ろし、ジッパーを少しだけ開いて私に見せた。
確かにサッカーのユニフォームのようなトレーニングウェアと、スパイクシューズのようなものがちらりと見えた。え、こんなおやじがサッカーなんかやってるのかよ。嘘だろう。私は声を漏らさないようにするのが精一杯だった。

新宿で私もKも電車を降りた。私は軽く会釈して当時住んでいた下北沢へ行く為に、小田急線の方向へ歩き出した。Kは練習場所の西武線のとある場所まで行くと言う。振り返ると、大きなバッグを持ったKが雑踏の中で非常に小さく見えた。そして、一瞬のうちに人波に飲み込まれ忽然と消えてしまった。

それから何日経ってもKと職場で話す機会は無かった。また同僚にもKとあの日会話したということも話さなかった。別にまずいことをしているわけでもないが、同僚の話題には決してKが出てくることはなかったし、仕事上でもKに関わることもなかったからだ。

それから1カ月くらい経ったころだろうか、屋上の隅で昼食をとっているKがいきなり仲間と談笑していた私たちの所へ近づいてきた。同僚は気にもとめず、今までしていた話しを続けている。
「柴崎君。今夜、飲みに行こう。」
Kは一言だけ言い残して階段室のほうに足早に向かった。

「おいおい、おまえ、Kさんと仲良しさんだったのかよ。」
同僚たちが笑った。
やはり、こういう展開になってしまったか。私は1ヶ月前の電車の中のことを同僚に打ち明けるとともに、飲みに行くことを否定した。
「いや、別に止めやしないから、行ってきなよ。あの人が酒を飲まないのは皆知ってるから、きっと重要な相談ごとじゃないかなあ。」
同僚の一人が煙草をくわえながら煙たそうな顔をして言った。
「たまにはKさんに付き合ってやんなよ。俺たちはその頃、歌舞伎町で遊んでるからよ。」
別の奴が楽しそうに言った。

午後からの仕事は憂鬱だった。課長にも定時で上がることなど言っていないし、それに同僚の手前、Kに飲みに行くことを断らなくてはならなかった。オフィスはだだっ広く、端から端までは相当な距離があった。私の席からKが座っている給湯室の前の席までにはまだ馴染んでいない他の部署の諸先輩方のエリアを通過して行かねばならない。忙しそうにしている先輩にうかつに近づき、何か用事を言い付けられるのも面倒だった。

そうこうしているうちに夕刻になった。定時近くになるとKは早くもデスクの上を整理し、一旦席を離れる。まだ就業時刻なのに帰り支度をしているようだった。私は意を決して廊下に出ると、反対側の入り口からオフィスに入った。Kのデスクは近かった。入社して初めて立った場所だった。私の席が遥か遠くに見えた。その時、Kが後ろから現れ、私の肩をぽんと叩いた。

「W課長には早く上がることを言ってくれたかな。」
むすっとした表情でKは私を見た。
「ええ、い、いやまだ。」
言葉に詰まる私を残し、Kはオフィスを横切るように私の上司であるW課長の席に向かった。私は途方に暮れてその場に佇んでいた。
「Kさん、あなたにターゲットを絞ったみたいね。大丈夫よ、ホモじゃないから。」
近くにいた三十半ばくらいの女性社員が電卓を叩きながら私に言った。
ターゲット。ターゲットってなんだ。私は妙な気分だった。

午後7時少し前だろうか、居酒屋に私とKは向かい合って座っていた。まだ早いということもあって、店員が暇を持て余して大声で無駄話をしている。うだるような夏の夜だったので、私はビールを飲んだ。Kはウーロン茶だ。焼き鳥が二人前。それだけが四人掛けのテーブルに乗っているだけだ。Kは、暑いだの冷房が効いていないだのと、ぽつりぽつり話したくらいで口を閉じたので、私もどう対処してよいか分からなかった。薄汚れた壁のメニューを心の中で読みながら暇を潰した。それはまるで、寝る前に羊を数える行為に等しかった。

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