「俺たち2」管理人による遠距離通勤マガジン

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小説(?) 祭りが終わって Vol.2  Vol.1 Vol.3
私はあまり経験のないサッカーの練習に誘われることになった。

Kは東京都に隣接した埼玉県のT市に住んでいる。荒川の支流だと思われる幅3mくらいの淀んだ川のほとりに中古の建て売りがいくつか並んでいるその一角だ。周囲は一応住宅街なのだが、ところどころが空き地だったり、工事用の資材置き場があったりと雑然としている。道幅も狭いので、車で来るにはためらってしまう。

私は九月に入った日曜、Kの家を訪ねた。約束の時刻に遅れて到着すると、待ちくたびれたように彼は玄関に立っていた。まだ、夏の余韻が十分残っていて、どぶの香りと周囲にびっしり生えた雑草の匂いが鼻をついた。Kの家は失礼な言い方だが猫の額ほどの庭に築十五年といった感じの小さな二階建だった。枯れたひまわりがそのままになっていたり、もう十年は乗っていないだろうという風情の自転車が無造作に立て掛けてあったりと、あまり暮らしぶりは良いほうではないという感じだ。

「まあ、あがってくれ。狭い家だけど。」
Kは私と奥にいるはずであるKの妻に聞こえるように、いつもより大きな声を出した。
「さあ、どうぞ。」
殆ど同時にKの妻が狭い玄関に現れる。
Kの妻は私が想像したとおりの陰気そうな感じだった。Kと同世代かそれよりも年上に見える。まったく化粧っ気が無いし、着ているものもぱっとしない。

玄関をすぐ曲がると6畳の居間がある。背の低い箪笥の上には熱帯魚の水槽があり、紫色の光が怪しく輝いている。その隣には水盆に入った里芋の芽。インテリアと言ったらそれだけだった。畳の上には何日かぶんの新聞が無造作に放り出したままになっている。

私とKは居間に置いたテーブルを挟んで座った。K夫人が奥で何かを作っている様子なので、奥さん構わないでください、という気の利いた台詞でも言いたかったが、本当に構わないつもりだった場合の気まずさを考えて、黙っていた。Kは楽しそうだった。
「いやあ、わざわざ来てくれて、悪かったねえ。あ、そうだ、ビールだっけ。うちは酒を飲まないから。」
そう言うと、Kは立ち上がり台所に行った。
居間に私ひとりだけになると恐ろしいほどの静寂が訪れた。
ろくに掃除をしていない網戸の向こうに河原から伸び切った雑草が緩く風に漂っているのが見えた。

私がKの家に来ることになったいきさつは、前述のとおり夏のある日、居酒屋に一緒に行ったことに始まる。あの時、大柄な私の体格を見て、サッカーを一緒にやらないかということを勧められた。バスケットなら少々やっていたが、サッカーは下手だという断り方をしてもしつこく勧めらた。仕方無いので一度だけ練習に加わってから、妙な関係ができてしまったのだ。

彼のやっているサッカーというのは、学生、社会人、年齢などを問わず、試合も適当にやっているという感じだ。Kは釜本選手を敬愛し、サッカーの話しには熱が入る。毎日、ジョギングをやっているということもあり、華奢に見えた体も足だけは異常に筋肉が発達していた。とても四十代とは思えない。練習の時、ユニフォーム姿の彼を見て、普段と落差があまりにも大きかったので驚いてしまった。

練習は二部構成になっている。一部が基礎トレーニング。そして二部は、試合形式だ。対戦チームは、彼が適当に見つけくるのだ。練習のある日はKが早朝からグランド整備を一人でやっているようだ。安くグランドを借りると雑草などが足に絡まって始末に負えないのでそうしていると、メンバーの一人が教えてくれた。メンバーは高校生が2人、二十代の社会人が5人と、不定期で来るか来ないか分からない三十代が数人という構成だった。Kを含めても11人揃ったことが無いという。

正直なところ、私は練習に参加してがっかりした。レベルは低いし、メンバーの殆どがやる気が無いような気がした。ただ、Kはひとり張り切っていて、四六時中「もっと動け!」、「まわれ、まわれ!」、「ほら、広がるんだ!」などと声を張り上げていた。私はなにか悲しい気持ちになってきた。練習が終わると、メンバーを集めて焼き肉バイキングの店で反省会をする。勘定はKが全て払った。メンバーは疲れていて、饒舌なのは彼ひとりだけだった。飯を食わせるからサッカーをやれというような図式のような気がしてならない。

ビールを買い置きしていなかったことを詫びつつKが戻ってきた。
「煙草吸うんだろう。灰皿ここだよ。」
彼は一度も使ったことのないステンレス製の大柄な灰皿を指差した。高橋商店というエナメルで書かれていた。その灰皿の中にはどこかの旅館で貰えるようなマッチがひとつ入っていた。私は遠慮なく煙草に火をつけ、天井にゆっくり昇る紫色の煙を見た。煙草のお陰で間が取れる。

「君とこうして話すのも久しぶりだね。さて、以前にも言ったとおり、祭りの手伝いをしてほしいんだ。ほら、例の御輿の担ぎ手が少ないっていうのもあるんだけどね。準備するにしてもいろいろスタッフが足りなくて。」
妻が酒屋へ行くのを窓越しに確認するとKは急に饒舌になった。
「御輿くらいならいいですけど、私に出来ることってあるんですか。」
私はすぐ帰るつもりで来ていた。なんとなく、面倒臭いことになりそうな予感がしたからだ。しかしもちろん、そういう雰囲気を出さないように心掛けた。

私はどうしてKにこれほどまでに気を使わなくてはならないのか不思議だった。人柄に惹かれてということでもないし、親切心からでもない。かと言って、放っておけないタイプというわけでもない。いつの間にかずるずるとKのペースにはまってゆくのだ。

結局、祭りの準備から後片づけなどの手伝いをすることになった。さすがに平日休んで手伝いをするなんて出来ないので、日曜の祭り当日と二日前の金曜日の夜だけ手伝うということにした。土曜日には仕事が入っていたので中途半端な感じだ。しばらく祭りの要領などの話を聞いてから、Kと私は1週間後に祭りを控えた商店街を歩いた。東京からすぐ近くの商店街にしては全く活気が無く、人通りも少ない。犬や猫ですら、歩くのも面倒だというようにのんびり通りを横切る。

「この街はベッドタウンだから、昼間は人がいないんだよ。休みの時でも活気がないんだ。ほら、W市の駅前にでかいスーパーが出来たりしたもんだから廃れてるんだよ。」Kは私と並んで歩きながら静かに話した。時折、小さな商店から出てきた店主らしき人物がKを見つけると挨拶する。会社と違って、ここでは人気者らしい。

「女房見ただろ。」
Kが足を止めた。「陰気な奴でなあ。宗教やってるからな。わけのわからん新興宗教だよ。」
「いいんですか。そんなこと言って。」
「どーってことない。祭りだって宗教感の違いでね、参加できないんだとさ。まあ、好きなようにさせてるけどね。」Kは吐き出すように喋る。
私は返答に困ってしまった。お子さんは?という質問をしようとした言葉が喉につっかえていた時だったので、息苦しくなった。後から先輩に聞いた話しだとKの息子は幼少の頃交通事故で亡くなったらしい。奥さんが宗教にかぶれるのも無理のないことだ。

祭りが近づくとKは有給休暇をとった。毎年のことらしい。もともとKの後輩だった上司もそのあたりのことは心得ていた。商店街の寄付集めから提灯の取り付け、各商店街や町内との打ち合わせなど山のような仕事があるらしい。私は同僚には祭りのことを一切話さなかった。金曜の夜に手伝いに行くことも言わなかったので、うっかり予定が重なってしまった。金曜の夜は毎週同僚たちと会社の愚痴をこぼしながら酒を飲むことになっていた。

金曜日になった。予め早く帰るということを上司に話してあったので、すんなりと会社を出る。やっと秋風が吹き始めた頃で日中は暑いが、さすがに5時半頃となるとひんやりしてくる。駅の改札に向かう外堀に懸かる橋のたもとで同僚のひとりに呼び止められた。
「あれ、今日飲み会行かないの?」咎めるような口調で彼は私を睨んだ。
「ああ、そうか、悪い、悪い。ちょっと用事があって。」
私は言い訳に苦慮しつつ、一目散に変わりかけたスクランブル交差点を渡り、改札からホームに駆けのぼった。同僚の視線が背中にいつまでも突き刺さっていた。今から行く所にくらべたら絶対に楽しいに違いない飲み会を蹴ってまで、何故私はKの為に動くのだろう。

Kの家に到着したのは7時を回っていた。相変わらずどぶ臭い街だ。Kは不在だった。Kの妻は、飾り付けをしに商店街に出かけたということをにこりともせずに私に告げた。Kの家から商店街はそれほど遠くはない。ただ、工事中のままいつになったら再開するのか分からない通行止めの道路が行く手を塞いでいたため、相当回り道をしなくてはならなかった。私は近道しようとして、暗がりの足元にあったコンクリートの塊につまずき、転倒した。激しい痛みをKのせいにした。それでも商店街に出たときには祭りの雰囲気があって嬉しくなった。両わきに提灯や飾り付けをした商店街は以前見たときよりも少しはマシになっていた。

商店街のちょうど中心に堀立て小屋のような周囲によしずは張っただけの祭りの詰め所も出来上がっていた。そこへ行くと、いつか会ったサッカーのメンバーが何人か来ていた。私が挨拶をしても黙々と何か作業をしている。
「あれ?Kさん、見なかった?」私は高校生のメンバーに尋ねる。
「駅のほうの飾り付けに行ってるんじゃないですかね。」
ぶっきらぼうに高校生が答える。
きっと、もともと無愛想な性格なのだろう。
「君たちも大変だねえ。」
私は少し同情し、ねぎらいの言葉をかけたが、「日当が出ますから。」と事務的に答えられて唖然とした。

「どうだ、雰囲気出てきただろう。」
振り向くとジャージ姿のKが立っていた。
「さってっと、柴崎君、折角来たんだから、まずはビールでも飲んで。」
Kはそう言うと、詰め所の奥に積んであったビール瓶を1本取って、栓を抜いた。どう見ても冷えてない。仕方なく勧められる通り、ビールメーカーのロゴ入りのコップでぬるいビールを飲んだ。本当に不味く、吐き出したい心境だった。

ひととおり飾り付けなども終わったようで、街のあちこちに散らばっていた商店街の店主たちが戻ってきた。夜も更けていた。そろそろ帰らないと、と言いながら詰め所を出ようとしたら、Kが私の腕をむんずと掴んで皆に紹介した。
「みんな。柴崎君といってね、当日、御輿を担いでくれる会社の後輩だ。よろしく頼むね。」
Kは嬉しそうに言った。
「よろしく。」
一斉に商店街の店主たちやお手伝いのおばさんたちから挨拶された。
「今年はあっちのほうでは気合いが入ってるらしいから、うちも頑張んねえとな。だけど、こんなでかい人が入ってくれりゃ、こっちのもんだ。」
電器屋の店主らしい男が気勢を上げた。あっちのほうというのは別の商店街のことのようだ。どこの地域でもそうなのだろうが、御輿の威勢良さなどを隣接した地域同士で競い合っているのだろう。

ただその町は、喧嘩御輿みたいな気性の荒い、ぶつかり合うようなものではないらしい。いかに元気良く、ある意味品良く御輿が担げたかということで町内同士で競い合うだけなのだ。それならば別に私じゃなくても良かったのにと思った。単に人数が少ないだけなのだ。それでも、御輿を担ぐのは久しぶりなので嬉しかった。

電器店の太った男が若い店員に合図したかと思うと、生ビールのでかいアルミの樽が運ばれてきた。周囲にたっぷり汗をかいているので、相当冷えているようだ。私の手にしたコップの中には今にも沸騰しそうなビールが入っている。男たちは詰め所のあちこちで乾杯を始めた。今度は酒屋が追加の瓶ビールを持ってきた。

「兄さん、お疲れさん。」
電器店の太った男が私のコップにビールを注ぎにきた。
「は、有難うございます。」
私は会釈してコップを差し出す。
すると男は、私のコップをさっと取り上げると、中のビールを表に撒いた。
「こんなぬるいの飲んでたら胃が腐っちまう。」
笑いながら男が再び私にコップを持たせ、こぼれるくらいのビールを注いだ。冷たい滴が指の間を縫ってこぼれおちる。私は一気に飲み干した。生き返ったような気分になった。

「昨年はよお、こっちの人数が少なかったことにつけこまれて喧嘩になっちまってさあ。」
酒屋の主人が酔った勢いでべらべら喋りまくる。
飲み初めてから1時間は経った頃だ。気が付くとKがいない。辺りを見回していたら、再び電器屋の店主が私の近くに来て、「Kちゃんは米屋の前が寂しいからって、飾り付けのやり直しに行ったよ。」と言った。
「なあに、Kちゃんは熱心だからさあ。毎年いっしょうけんめいだし。」と、別の男。「あんたたちばかり飲んで、酒の飲めないKちゃんはいい迷惑してんだよ。」とどこかの商店主の妻らしき女ががなり立てた。

「柴さんよ、ああ見えてもKちゃんは御輿の達人なんだよ。なにしろサッカーで鍛えてるからねえ。」
年配の男が私に向かって言った。
手に一升瓶を持っていることから相当酒が入っているようだ。顔が真っ赤になり皺の多い顔がますますくちゃくちゃになった。この人は商店街連合会の会長さんだという。
「Kさんは手際がいいんです。」
ヤスと呼ばれる二十代の若者が言う。
「そうそう、柴さん、いい先輩がいて羨ましいよ。」
また別の男。
六畳間ほどの詰め所に商店街や町内会の代表がびっしり集まり、口々にKのことを褒めちぎるので、私は狐につままれたような気持ちになった。

Kは明らかに会社にいる時に人間とは180度異なっていた。誰からも指示を受けることなく、必死に祭りの為に奉仕していた。会社では黙々と仕事をしているが、非協力的だった。若い社員が徹夜まがいの仕事をしていても、助けることなく一瞥して平気で退社していた。庶務課の女性が蛍光灯の取り替えをしようとしても、横目でぼうっと見ているだけだ。これはきっと会社に限ったことではない。おそらく家庭でも何もしない人間なのだろう。それがサッカーや祭りのことになると世界が一変する。一体Kの二重性は何なのだろう。

私は酷く酔っていた。ヤスとは年齢が近いせいか、意気投合した。ヤスとは同じ趣味のバイクのことやバンドの話で盛り上がっていた。私は年寄り連中が少しずついなくなる深夜になってもまだ詰め所にいた。Kは何処にいったのか見当たらなかった。そんなことはどうでも良かった。商店街の連中と仲良くなれたことがなによりだった。最近、実家の木更津に帰っていないこともあった。自分の親の世代と気軽に話しているのも楽しかった。会社では味わえないコミュニケーションなのだ。

ヤスの家は八百屋だった。今年から体を壊した父親の後継ぎとして家に戻ったらしい。それまでは、サラリーマンをやっていたそうだ。私はいい気になって終電が無くなるまで飲んでしまった。
「おう、ここ閉めるぞ。」
隅のほうで壁にもたれていた電器屋の親父がむくっと立ち上がりそう叫んだ。
「じゃ、おやっさん、柴さんとレイカに行ってくるよ。Kさん、起きてるかな。知らせておいてくれないかなあ。」
ヤスは、私がろれつが回らなくなっているのもお構いなくスナックに連れて行くつもりだ。
「Kちゃんか。もう寝ちゃっただろう。まあ、いいけど、柴さんがもう帰れないだろうからおめえんとこ泊めてやってくんな。」
電器屋はさっさと周囲を片付け、早く出るように合図した。

スナック麗花でヤスの暴走族風の友人3人と合流し、明け方近くまで飲んだ。私は一度潰れたらしく、目を覚ました時には上半身カウンターの上にうつ伏せになっていた。そして肩からタオルケットのようなものを掛けてもらっていた。
「お、ヤス。お客人が起きたよ。」
カウンターでヤスたちと話していたマスターが私のほうを見て笑った。
マスターは三十代前半。オールバックの髪にアロハ着ていた。どのくらいの量の酒を飲んだのか分からない。私はぼんやりしていた。狭い店内は私達の他に客はいなかった。いや、十人座れば満員になってしまうような造りなので、商店街の仲間うち専用の店なのかもしれない。

コーヒーを飲んで、少し酔いをさましてから店を出るとひんやりしていた。ヤスの友人はその場で「じゃあな。」と言い残し、湾曲した路地に消えていった。どんな話しをしたのか鮮明には覚えていなかったが、ワルぶっていても気の良い奴等だった。私とヤスは何処へというわけでもなく歩き出した。時折、新聞配達のバイクだけがシンとした町並みに響き渡っていた。
「少し俺の家で寝たほうがいいよ。」
ヤスは私の顔色を窺いながら言う。
「そうしたいけど、寝たら起きられなくなってしまいそうだ。」
私が答える。
「だったら、二人で起きてようか。俺も今日仕事だし、祭りったってずっと店番だから昼間は関係無い。」
彼は苦笑した。

土曜日にも関わらず会社は3分の1くらいの人間が出ている。私はふらついた足取りで会社に向かった。早く会社に着いて、少し眠ろうと思った。今日が出勤じゃなかったらヤスの言うとおり、彼の家で休ませてもらって、それからゆっくり帰ってもよかった。しかも、御輿が出ないが今日も祭りには違いない。もっとあの街にいたかった。

職場は閑散としていた。今日はこうるさい課長も係長もいなかった。眠かったので、午前中はデスクにうつ伏せになっていた。同僚が「どうせ大した仕事があるわけではないから寝てなよ。」と言ってくれたからだ。昼近くになって正気に戻ったような気がした。同期で入社したM子が熱いお茶を入れてくれた。
「そうだ、明日の日曜、お祭りに行かない?」
咄嗟に私はM子に叫んだ。

昼休み、静かな屋上で私は同僚たちに明日の祭りのことを説明していた。当然ながらKの姿はどこにもない。今ごろ子どもたちと一緒に山車を引っ張っているはずだ。私は明日の祭りのことも含めKとのいきさつ、Kのプロフィールなどについて語った。例のサッカーの件も含めてだ。
「へえ、Kさんって、スポーツマンなんだ。」
一人が感心する。
「どうせさあ、会社でうだつが上がらないから、町内会で頑張ってるんじゃないの。そういう奴って確かにいるよな。まあ、どうでもいいけど。」と、別の同僚。

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